本当はどっちが残酷?

茨城県で生後一ヶ月の子供を父親が虐待死した事件があった。こんな出来事がけして珍しくない世の風潮が悲しい。

 

次女の子供がもうすぐ生後2週間だ。この頃の子供はまだ目もはっきり見えておらず、泣くこととミルクを飲む以外は自発的な行動や感情は殆んどない。生後一ヶ月の赤ちゃんも自分が誰に何をされているのかも分からないまま殴られ、床に叩きつけられ息を引き取ったのだろう。

 

前に家で飼っている魚に触れた。小型魚(テトラやメダカ)はただ無心に泳いでいる。何回か経験したが死ぬ時も前日まで元気だったのに翌朝見たら突然、というパターンが多い。推測だが、自分は何が原因でどんな病気になり、死んでいくのか分かっていないと思う。人間の赤ちゃんも言わばこれに近い。

 

これに比べるとエンゼルフィッシュディスカスなどの中、大型魚は餌を食べなくなったり、体色が変わったりと明らかな変調を来して死んでいく。きっと自身も自分の体調が良くないことを分かっているに違いない。

 

私の性格が少々ネジ曲がっているのかも知れないが体調の悪さを訴えることもなく亡くなっていく小型魚の方により、哀れみと愛しさを感じてしまう。最近、特にそんな風に感じるようになった。

 

何故こんなことを書いたかと言うと、よく欧米が捕鯨に反対する理由として「あんな頭の良い動物を殺すのは残酷」といのがある。確かに、ひょっとしたら鯨は自分が捕まったことを分かっているのかも知れない。では、捕獲されたことを分からない他の魚なら残酷ではないのか。

 

その理屈で言えば、自分が殺されるかも知れないという事を分かっていない赤ちゃんを殺すのは残酷ではないという考えに繋がるのではないか。

 

一匹数十円のメダカやテトラと、泳ぐ宝石と言われるディスカスを同様に扱えるかと言うと、確かに自分自身、確実な返答は出来ない。でも、せめて心掛けだけでもそうありたい。