悩ましい

「田園調布に家が建つ」は星セント・ルイスさんのギャグだが、和歌山の田園調布と言えばどこだろう?勿論、東京との差が大きいので比べ物にはならないが、大きな邸宅が集まっているという点では吹上地区、特に紀陽銀行堀止支店から東に入った道路沿いの一帯であろう。

https://careeup.com/wakayama/

 

和歌山を代表する企業、S精機の創業者(現会長)の家もそこにある。

 

実は拙宅もそこからそう遠くない場所に位置している。歩いて10分、自転車なら3分も掛からない。どんなもんだ。って家を建てたのは親だから自慢にもならないが。 

 

家は大きい方がいい。立地も便利な場所の方がいい。文句を言うのは贅沢だ。そんなことは分かっている。でも、もうすぐ前期高齢者の仲間入りだと言うのに今更ながらに思う。もし、私の生まれ育った家が辺鄙な場所のオンボロ小屋だったら、恐らく滋賀県で家を建てて滋賀県民として生活していただろう。もし、そうなっていたら今頃どんな暮らしをしていただろうかと。親の建てた家を当てにするのは間違っている。それも分かっている。しかし、だからと言って残念するには自宅の魅力(大きさ、立地)は大き過ぎた。

 

35歳持ち家制度という言葉が当時の松下電器にあり、私もその年齢の頃はそれなりに考えた。結論は少々出世して給料が増えても滋賀県の同じような一等地に同じような家を建てるのは到底無理ということだった。更に言えばその頃(30年前)は滋賀県和歌山県に今ほどの格差はなかった。街の賑わいも発展度合いもけして引けを取らなかったということも私の考えを後押しした。あの頃、自宅のすぐ近くにあった黒門市場イズミヤモスバーガー、おはぎの丹波屋、全部跡形も無い。

 

この家も建って約半世紀。駆体には問題ないものの至る所に古さが感じられるのはやむを得ない。今の場所でもっと庭を広く取ってコンパクトな家に建て替えられることが理想なのだが鉄筋コンクリート造りなのて壊すことを思うだけで気が遠くなる。そんな時私の中の悪魔が囁いた。地震でも起こって壊れてくれないかなあ。公の費用で瓦礫を撤去してもらえればどんなに好都合だろう。

 

 

珠洲市長、倒壊家屋の撤去に12年掛かるとの見通し。

https://news.yahoo.co.jp/articles/085127e96b499c8d365a0f4b3461eb40289c8663

 

そんな悪魔の囁きも先日の能登半島地震で吹っ飛んだ。そうか自分の家が壊れるということは廻りの家も全部壊れているだろう。道もどうなっているか分からない。金はあっても建設の人手が圧倒的に不足するだろう。それに12年も経ったら夫婦ともに後期高齢者、そんな歳になって家を建てる元気もないし、建てたとしても住める年数も知れている。

 

あー。どうしたものか。