指揮者の小澤征爾さん死去

会社員時代、ある女子社員が聞いてきた。「パソコンでこの字(爾)を出したいのですが、どんな風に打てば良いですか?」

数ある男子社員の中で私に聞いてきたのは私を物識りと知ってのことか、それとも暇そうに見えたのか。

 

閑話休題

 

一見して私はこう答えた。

「せいじって打ってみ。」

直後、彼女から歓声が上がった。

「出ました!さすがです!」

私が女性から感謝された数少ない経験のひとつだ。

 

私が彼女にアドバイス出来たのは直ぐに小澤征爾さんの名前が頭に浮かんだからだ。征爾という名前はけしてポピュラーな名前ではない、でも何と言っても世界のオザワ、多分OA機器にも登録されているだろう、そしてその予想は見事に当たったのである。

 

その小澤征爾さんが亡くなった。https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20240209/1000101944.html

 

高校時代に学んだ「山月記」は大好きな小説のひとつだが作者の中島敦は友人に芥川龍之介をどう思うと聞かれ全集を売って旅行代金に充てたと答えた。処が別の機会に○博士が芥川をけなしていたという話をすると憤然として「学者先生に何が分かる!」と吐き捨てたという。

 

誠に僭越な物言いになるが私と小澤征爾さんの関係もそれに近い。私自身、小澤さんの熱心な聞き手ではないし、持っているCDも数枚しかない。私だけのコレクションに限ればいてもいなくてもいい指揮者と言えないこともない。それでも彼の功績がどれだけ大きいものがあるかということについてはよく分かっているつもりだ。

 

どんな世界にも思い込みによる誤解、偏見がある。何かの本で読んだが詐欺の電話も女声であるだけで警戒心がぐっと下がるという。犯罪は男がするものだと多くの人が思っているからだ。反対にもし寿司屋で握っているのが女性だったら、それだけでこの店大丈夫?と思ってしまう。ましてや板前が外国人ならどう思うだろう。私の娘は2人ともキリスト教の結婚式だったがあの神父は本物だったのだろうか。まさか留学生のアルバイトだったのではないだろうな。でも本物の日本人神父より偽物でも外国人の方が何となく有難く思ってしまうのも事実。

 

私が最初のヨーロッパ旅行に行ったのは40年以上前になるがフランス人の気位の高さには本当に参った。こちらは英語で聞いているのにフランス語で答えてくる。経済は1流だが、政治は2流、文化は3流。それが海外での日本の評価だったし、実際その頃の日本のオーケストラは気の毒な程下手だった。日本を代表するNHK交響楽団が海外の新聞で学生オーケストラ並みと酷評されたのもその頃だ。

 

そんな時代よりまだ遥か前、もっと日本への偏見と固定観念が強かった時代に小澤征爾さんは単身ヨーロッパに飛び込んだ。日本人にクラシック音楽が分かってたまるものか、聴衆も楽員もそう思い込んでいるところを一歩ずつ変えていった。私は前に小澤征爾さんをメジャーリーグに於ける野茂英雄投手になぞらえたことがあるが、当時の彼我の格差を考えるとクラシック音楽の方が遥かに大きかったことは間違いない。しかもメジャーには野茂選手に匹敵する日本選手が何人も登場したが、小澤さんに並ぶ程の音楽家はついぞ現れていないのではないか。

 

以前西川のりおさんが空港で小澤さんを見掛けた時のことを話していたが、あれだけ偉い人なのに腰が低く、空港職員にも実に丁寧に応対していたことに感動したという。そんな人柄だからこそ、多くの国、人から愛され、好かれ、あれだけの活躍が出来たのだろう。

 

クラシック音楽界に於ける日本の地位を格段に底上げし、私が女性から尊敬されるという滅多にない僥倖をもたらしてくれた小澤征爾さん、有難うございました。御冥福をお祈りします。