昭和のプロレス

格闘技を見なくなって久しい。小中の頃はプロレスの熱心な視聴者だったし、高校から大学に掛けては大相撲中継を全場所、全時間見ていた。

 

今見ると言えばボクシングの世界チャンピオン戦かオリンピックの柔道のみ。だからこのニュースも娘に聞くまで知らなかった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/79469de3afc7a98da3b635ae26f775831bea4628

 

動画を見ると花束を渡す前に下に落としたのみ。実におとなしいものではないか。昭和の悪役レスラーはこんなものではなかった。花束を受け取るやすぐにリング下に投げ捨てたりするのは当たり前、中には花をむしゃくしゃ食べる者、花束を持って相手のレスラーに襲いかかる者もも珍しくなかった。

 

昭和のプロレスといえば場外乱闘も忘れられない。文字通り客席にまでなだれ込んでイスや机を奪って戦うので観客も逃げ惑う。でもよく見ていると平然とした様子でずっと席に座ったまま、という客もたまにいた。

 

「よく平気で据わってられるな。」見ている方はそう思うのだが、考えてみれば当たり前。レスラー同士は如何にラフファイトしようと万一客にケガでもさせれば興行停止だけでは済まない。当然警察沙汰にもなるだろう。そうなれば組織の経営そのものが危うくなる。今思えばあの頃のレスラーは結構気を遣いながら戦っていたのだなあ。本当にお疲れ様でした。

 

それを思えば今回の花束を投げ捨てた件もヤラセではないか。そんな気がする。少なくとも格闘技の世界の人間でメイウェザーの前で本気でそんな態度を取るような気持ちにはなるような者などいないと思う。野球少年がイチローのコーチを無視するようなものだ。

 

前にも書いたがドラマや映画で悪役をする人のほうが良い人が多い。それと同じことが格闘技の世界でも言えるのではないか。

 

 

西九州新幹線が開業

関西国際空港ができたとき堺屋太一さんだったか竹村健一さんだったか「これから和歌山の時代が来る」と予言した。根拠は関西を関東に例え、今までは大阪〜神戸(東京〜横浜)間が栄えて来たが成田空港ができて東京〜千葉間も栄えた。ちょうど千葉と同じ位置関係にあるのが和歌山。だから和歌山も、というものだった。

 

このとき、たまたま一緒にテレビを見ていた父親が「そんなことあるか。和歌山は扇風機の裏側だから余計衰退するわ。」と捨てゼリフを吐いていたが、残念ながらこの件だけは父親の予測に軍配が上がったようだ。

 

関空ができて1番影響が大きかったのは大阪とのアクセスだ。ご存知のように大阪市和歌山市の間にはJR阪和線と私鉄の南海電鉄があるが大阪発の電車の2本に1本が関西空港行きになってしまい、著しく不便になった。更に阪和線に至っては所要時間まで大幅に伸びてしまった。関空ができる前、和歌山〜天王寺間は追加料金不要の新快速で45分で行くことが出来た。今は1時間20分も掛かる。ほぼ2倍だ。

 

西九州新幹線開業。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6439535

こんな短い距離の新幹線、何の意味があるのか。たまたま次の朝のニュースを見たが初日の前日は終日満席だったが2日目は結構空き席も目立っていたという。

 

新幹線が停まる駅の近くに住む人は良いだろう。でもその沿線の人はあおりを食って在来線の本数が減って却って不便になっている。

 

鉄道だけではない、夜に高速道路を大阪方面から南に走らせると関空道との分岐を過ぎると急に灯りの数が減って道が暗くなる。当然安全運転にも影響が出よう。

 

中央のおえらいさんは便利さだけではなく、地方に住む住民の生命も軽く見ているらしい。

 

作者が言いたかったこと?

和歌山県で1番と言われる進学校に入って最初にショックを受けたのは最初の定期テストで1課目だけ平均点を下回っていたことだ。中学までは平均点なんか気にしたこともないし、それどころかわざと間違った答えを書いて「やっぱりあかんかったか。」とほくそ笑む茶目っ気もあった。

 

例えば小学○年の算数の問題。1/10より大きく2/10より小さい分数を3つ書きなさいという問題が出た。私は1.3/10、1.6/10、1.9/10と回答した。先生はご丁寧にも「なるほどよく考えたね。でもこんな分数はない。」と書いてくれていたが、そんな分数がないことなどとっくにこちらは承知済み。

 

標題の「作者の言いたかったこと」なども同様だ。自慢じゃないが私はこの手の問題で正解したことがない。作者の言いたかったことなど作者にしか分かる筈がない。だから本当にこれだ、という正答などないのが真実だろうがそれでも一応模範解答らしきものは存在する。

 

どんな問題、解答だったか正確には覚えていないが川端康成の「伊豆の踊り子」でやはりこのとき作者は〜という問題が出た。私は「男扱いに慣れた踊り子がうぶな学生をもて遊んでいる様子。」と書いた。常識的に考えても中学のテストで男扱いやもて遊ぶなんて言葉そのものが使われるはずもない。勿論間違いにされた。

 

いくつも経験した同様の問題で何故この時の事を覚えているかと言うとテストを返し終わった後、先生がわざわざ私の元に来て「先生も読めば読むほど○君(私)の考えに思えてきた。」と耳打ちしてくれたからだ。何気ない学生時代の1ページだが私も感動したのだろう、不思議に今でもあのときの光景はよく覚えている。まさに今年教員としての生活をスタートした息子よ、聞いてるか?

 

少し前のブログで芭蕉の「おもろうてやがて哀しき鵜舟かな」という句を引用し、息子がイルカショーを見て涙が出てきたという心象風景と重ね合わせた。ところが肝心の私のこの句の解釈がどうやら定説と違っていたようなのだ。定説は各自で調べて欲しいが私は人生でたった一度きり有田川の鵜飼を見たときの印象で解釈していた。

 

それは最初は鵜飼の繰り広げる気の合ったショーに感心する。しかし見ている内にあれだけ一生懸命魚を獲っても紐で首を締められているので小魚一匹すら食べられない、でも人間の指示でお仕事せざるを得ない、そんな鵜に対する同情心が湧いてきて哀しくなる、そういう意味だと信じて疑わなかった。同様に息子がイルカショーに涙したのもあれだけ人間の指示通り飛んで跳ねての芸を披露しても貰えるのはアジかイワシ2、3匹。そんなイルカに同情して泣けてきた。私と同じだ。勝手にそう思い込んでいた。

 

俳聖芭蕉先生、先生のお考えはどうですか?

 

台風一過

「史上最大級」、「過去にない備えを」。の筈だった台風14号はそれ程の被害なく過ぎ去った。当地を直撃しなかったからだけてはなく、直撃を受けた地域のニュースを見ても「史上最大級」の台風からはほど遠かったことは分かる。気象庁も警戒を呼び掛けるのはいいが来る台風、来る台風いつも史上最大では狼少年になりかねない。

 

ただ台風一過、気温はものの見事に下がった。普通の部屋着で窓を締め切って丁度良い。こんな期間、実は一年でそう長くないが私の趣味であるオーディオを楽しむには絶好の季節だ。冷房はエアコンの音が気にかかる。暖房は石油ストーブなら無音だが頭がボーッとして音楽に集中できない。

 

たまたま中学一年に同じクラスになった友人の影響ではまり込んだオーディオの世界、足かけ50年も続いている。趣味だけでなく就職に当たっての会社選びもオーディオメーカー中心だったのだから自分で思っている以上に人生に影響を与えてきたのかも知れない。

 

この間、私がオーディオにつぎ込んだ金額は・・・、それは言うまい。オーディオに何の関心もない人から見れば「アホちゃうの?」という高額だろうし、本格的に取り組んでいる人はまさしく家の設計からオーディオ向きに建てている例も珍しくないので正に天井知らずだ。

 

この度、CDプレーヤーを買い替えた。現有機に不具合があった訳ではないが、万一故障しても部品の保有年限が切れており、修理出来ないことと、もうひとつ最近特にオーディオ機器の値段が高騰し、今買っておかないと今回出した金額で同レベルの製品は到底入手出来なくなることが予測されることなどで購入の決断に至った。

 

トヨタの方に聞いた話だが現代人気車の納期が今までになかった程遅れているため運良く手に入れた車を売りに出せば買値よりかなり高く売れる。ランドクルーザーなど、日本で数百万円のものが海外には千万円以上ですぐ売れるらしい。こういう「転売ヤー」を防止するためトヨタ本社は転売が発覚したディーラーには一定期間車を卸さないなどの懲罰を課している。

 

CDプレーヤーを買った日本橋の店にも数十万円もする高級オーディオ機器をまとめて何台も売ってほしいという客が時折訪れるらしいが、同じ理由で断っていると聞いた。

 

かつて「強い円」で海外のブランド品を買い漁り顰蹙を買った日本が今は海外からの格好の標的になっている。

 

台風(バブル)一過、日本は冬の時代に入ってしまった。再び春がは訪れる日はやってくるのだろうか?

私の僻み根性が強いのか?

白浜に住む息子が徳島の友人とアドベンチャーワールドに行ってきた。以前家族旅行で行ったことはあるが全く記憶にないらしい。ご存知の通り入場料はけして安くないし、JAFなどの割引もない。どやつた?入場料分の値打ちはあったか?と聞くとめっちゃ良かった。特にイルカショーには感動して涙が出てきたとのこと。良かった。良かった。

 

1つ目の良かったは楽しめたことに対して、2つ目の良かったは息子が心根の優しい人間に育ってくれたことに対して。

 

「おもろうてやがて悲しき鵜舟かな」有名な芭蕉の句なので、解説は省くが息子がイルカショーに涙したのも同じ心情だと思う。そんな有名な観光地がいくつもあり、風光明媚、更には温泉にまで恵まれた白浜は和歌山県民の誇りだ。しかし・・・。

 

 

JRA西日本と阪急交通社の協力企画。

https://www.hankyu-travel.com/s/kokunai/osa/89155971/

大阪駅発着の一泊旅行が12345円。行き先は抽選。この行き先を見て複雑な心境になったのは私だけだろうか。

 

金沢、加賀温泉、広島、博多、そして南部と白浜。それでなくても利に聡い関西人なら原価の高い、遠いほうが嬉しいに決まっている。博多や広島、金沢が当たればラッキーと喜ぶだろうが、南部や白浜は言っては悪いがハズレくじの印象が否めない。抽選で南部や白浜が当たった人も本当は来たくなかったという心持ちになるだろう。こんなハズレくじみたいな役割を何故和歌山に押し付けますかねえ。それだったら姫路でも彦根でも奈良でも良かったのでないのか?

 

行き先に選ばれただけでも有り難く思え?どうも素直に喜べない。私の僻み根性が強すぎるのだろうか。

 

 

目覚めてほしいが

全国各地の数ある年間行事の内、毎年必ず全国ニュースで取り上げられるものといえば何があるだろう。関西なら西宮神社の福男選びや祇園祭。これは間違いない。他には?岸和田のだんじり祭?、琵琶湖の海開き?ローカル枠では必ず取り上げるだろうが全国ニュースとなると心許ない。歴史があり、行事の多い関西地方でもそう多くない。

 

ましてこれが海外にも報道されるような日本の恒例行事といえば何かあるだろうか?ちょっと思い浮かばない。

 

アメリカならアカデミー賞グラミー賞が挙げられるし、スウェーデン/ノルウェーノーベル賞も毎年のビッグニュースだ。オーストリアのウイーンフィルニューイヤーコンサートも毎年、全世界に生中継されている。

 

エリザベス女王国葬が行われ、報道によると数十を超える国に生中継された。

 

イギリスといえば平成の世になった頃、漫画家のやくみつるさんがこれからの日本は「経済のことばかりにあくせくしないイギリスのような中進国を目指すべき」と述べておられ感心したことを覚えている。中進国という言葉だったかハッキリした記憶はないがバブル絶頂期の日本は彼の国を「すっかり落ちぶれた嘗ての帝国」のように皆思っていたことは間違いない。

 

イギリスだけではない。上に挙げたスウェーデンノルウェーオーストリア。皆当時の日本から見れば観光以外これといった産業もない「中進国」、そう思えばこそ、日本にはない世界的イベントがあってもまあ大目に見る度量を保つことも出来た。

 

それが今はどうだ。一人当たりGDPでは遙かこれらの国の後塵を拝し、国民たちはそのことにすら気付いていない体たらく。

 

そんなことには絶対なってもらっては困るが今のままでは「日本?ああそう言えばそんな国がありましたなあ。」なんてことにもなりかねない。

日本人の劣化について考える

アメリカに行ったのは後にも先にもたった1回、1985年に3週間ほど滞在した、それだけである。だがその目的はただの出張ではなく、勿論旅行でもなく留学、日本企業訪問、現地従業員との交流等多岐に渡っていたので比較的多くの人と話す機会があったことは多少なりとも自慢に思って良いと感じている。

 

アメリカ人というとヤンキー気質という言葉があるように底抜けに明るい印象を持っていたが私が実際に感じたアメリカ人の1番の特徴は日本人以上に保守的、懐古的で奥ゆかしい人が多いということだった。自国に長い歴史がないからかアンティークなど古いものに強い憧れがあり、車や家電なども日本人のようにすぐ買い替えるのではなく、修理しながら長く使う。そういう気質の人が多いように感じた。

 

勿論、明るい人もいた。とある町のミュージックショップでポール・サイモンブラームスのカセットを買ったとき店員に「ポール・サイモンアンドブラームス!、ナイスコンビネーション!」と言われたことは懐かしい思い出だ。しかしその明るさも根っから出たもの、というより明るく振る舞うことで連帯感を求めている、そう感じたのは私の考え過ぎだろうか。

 

 

今「コンビニ店長の残酷日記」という本を読んでいる。この本、とにかく面白い。面白過ぎるのでなるべくゆっくり読んでいるが、まえがきにこんな文章がある。

「一昔前と現代とでは日本人は明らかに変わってきている。何かが明らかにおかしくなつている。」

どんな経験をしてそんな風に感じたのか。まだ半分も読んでいないがこんな例え話が書かれている。

 

何も買わずに「トイレある?」は当たり前。

人の店のものを借りるのに「貸してください」と断る人は少ない。以前はトイレを借りたら缶コーヒーや週刊誌など何かしら買ってくれたものだが今はそういう人も少数派だ。

 

私は滅多にコンビニには行かないがそれでもこの店長の言っていることは痛いほど分かるような気がする。

 

コンビニに行かない代わりにスーパーには会社員時代からよく行っており、どうしても腹の立つ客の振る舞いが3つある。

①買うのをやめた商品を元の売り場に戻さない奴。

②車まで押して行ったカートを駐車場に置きっぱなしの奴。

③身障者用の駐車スペースに停める奴。

特に③の奴を見かけると軽い殺意を覚える。

 

残念ながら昔の買い物客がどうだったのか詳細には覚えていないが、今ほど酷くはなかったのではないか。

 

何故こんなにも日本人は変わってしまつたのか。機会があれば考察してみたい。

 

そしてアメリカ。あれから37年経つが今はどうなっているだろう。機会が許せばもう一度行きたいが円安がひどすぎる。それ以上に英語力が劣化していることが気がかりだ。