幼き日の記憶1

今、録画で見たテレビのインタビュー番組で古舘伊知郎さんが「気が付けばバックミラーばかり見るような年齢になったが、たまには前も見ないと危ないので・・・」という話をされていた。さすがにうまいことを言う。

 

お陰様でまだ身体にこれといった不具合もないので、自身の年齢について意識することはほとんどないが、生まれた年が戦争が終わってまだ10年そこそこだったのだということを思うと、ずいぶん生きてきたんだなあと軽い感慨を覚えることも確かである。

 

毎年の全国戦没者追悼式も”ついこの前までは”兵隊さんの親世代の出席も何人かいたように思っていたが、今は配偶者世代が最高齢で既に90歳以上なので出席者全員が子供世代以下になる日も遠くないだろう。

 

私が幼稚園~小学校低学年の頃、親に連れられて市内中心部の繫華街に行くと道端にボロボロの軍服のようなものをまとった方が首からプラカードをぶら下げて(あるいは前に立てて)座っており、カードを見ると例えば次のようなことが書かれていた。

 

「私は昭和18年のXX島の戦いで米軍の爆撃を受け、左足を切断する重傷を負いました。この傷害のため幾多の艱難辛苦を経験し、云々。」(だからお金を恵んで欲しいと書かれていたかは覚えていない。)

 

座っている本人はというとずっとうつむいたまま何もしゃべらないので、どんな顔なのか、表情なのかまったく分からなかった。ただ、幼な心に不思議だったのは前を通り過ぎる大人の誰一人として彼らにお恵みを渡す人がいなかったこと。というより、そこに人が居るという存在にさえ気付いていない風に通り過ぎていることだった。

 

10歳になるかならないかの当時の私にどこまで義侠心があったか不明だが、国のために戦ってくれた人になぜ皆冷たいのだろうと感じたことはよく覚えている。では何故、私自身が何もしなかったのか。先にも書いたがどんな人なのか分からないので不気味。子供の出せるはした金では却って失礼。などもあるが、親から「あの人らには近づくな。」と言われたことも大きい。この世代の子供にとって親の存在は絶対である。(未だに日本に根強く残っている差別問題もこんな親世代からの誤ったメッセージが源になっている場合が多いのではないだろうか。)

 

小学校上級生になった私は活動範囲もぐんと広がり、親に連れられて出かけることも滅多になくなった。ちょうどその頃、気が付けば兵隊さんたちの姿は街から消えていた。

 

今は多分、生きていないだろうあの兵隊さんたち、何があって街から消えてしまったのだろう。その後どんな人生を歩んだのだろう。