4月16日

今日はチャップリンの誕生日。1889年の生まれだから生誕131年。同じ年のたった4日違い、4月20日ヒットラーが生まれている。あまりに対照的な生涯を歩んだふたりの誕生日がたった4日違い、というのはチャップリンファンなら誰でも知っている。

 

前にも書いたが映画は映画館でしか見られない時代、チャップリンリバイバル上映第1作の「モダンタイムス(1936)」を中学校の映画鑑賞会で見られたのは本当にラッキーだった。すっかり虜になった私はすぐに近くの映画館にパンフレットを買いに行った。チャップリン自身の日本(正確には配給会社)向けメッセージが載っていたのが嬉しかった。そう、この時チャップリンはまだ存命中だった。そのこともまた私は嬉しかった。

 

リバイバル上映は第2作が「街の灯(1931)」、第3作が「独裁者(1940)」と続いた。誰がこの公開順を決めたのか知らない。しかし、今思えば非常に絶妙な順番だったと言える。「モダンタイムス」はチャップリンのあらゆる要素が詰まったエッセンスのような作品。機械文明への風刺という作品の主題も当時の日本に訴えるものが大きかった。つまりチャップリンビギナー向けには最適の作品。

 

打って変わって「街の灯」は悲しいまでの一途な恋物語。ここで女性の心をぐっと掴み、次の「独裁者」は全作品の中でもっとも男性向け。本当にうまい公開順だった。

 

結構凝り性の私はチャップリンに関するものを目に付く限り買い漁った。大抵のものを買うのに迷いはなかったが、大本の「チャップリン自伝」は結構悩んだ。今は文庫本でも手に入るが、当時は単行本のみの販売で何と2000円!意を決してM君の実家(書店だった)で予約、入ったと連絡があったので受け取りに行くと、2500円に値上がりしていた。気が遠くなってしゃがみこみそうになったが何とか持ちこたえた。

 

チャップリンについては、又折に触れて書く機会があると思う。

 

チャップリンが亡くなったのは1977年の年の暮れ、クリスマスの日だった。88歳。充分に長生きと言えるが、私には世界がチャップリンがいた時代といない時代に分断されたような感慨を覚えた。秘書や使用人を除けばおそらく日本人で一番チャップリンに会っている映画評論家の淀川長治さんは「最近体調がすぐれないとは聞いていたが、せめて90歳まで生きて欲しかった。」との追悼文を寄せた。

 

年末の紅白歌合戦で白組応援団長の三波伸介さんがチャップリンに扮してパントマイムを行った。退場の際、紅組応援団長の中村メイコさんが「チャップリンさんが亡くなったのは88歳でした。ただいまのチャップリンは88kgでした。」と言って会場を沸かせた。

 

それにしても、なんでこんなことを覚えているのだろう。