安心したけどちょっぴりセンチ

正月の2日、子供達家族と恒例の会食をした。いつもなら姉夫婦の子供等も集まってもっと大人数になるのだが、今年は家側だけ、それでも大人8人、孫2人の賑やかで楽しいひと時を過ごした。

 

食事前、紀伊水道一望の温泉で息子と娘の婿2人が一緒になった。孫世代はまだ増えるかもしれないが私の子供世代の男子が期せずして全員集合した。

 

私は7年前父の、6年前義父の臨終を見送ることが出来た。まだまだ先であることを希望するが私の「その時」も彼らに見送ってもらえると思うと安心だ。娘たちは望み得る限り最高の男性を結婚相手に選んでくれた。息子は未知数だが私と違って温厚な性格だから大きく道を踏み外すことは無いだろう。

 

一休禅師はある金持ち家の出産祝いに一筆頼まれ「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」と書いた。頼んだ家は祝いの書に死ぬとは縁起悪いと怒ったが「先ず親が亡くなって次に子供が、最後に孫が死ぬ。順番通り亡くなる事以上に幸せなことはあろうか。」と近所の物知りに教えてもらい、その書状を掛軸にして家宝にしたという。

 

自分が死ぬ時のことを考えるのはけして愉快ではないが、親としての最低限の責務は果たせたかな、と一安心を感じた正月でもあった。