自宅で音楽を楽しまなくなった訳

けして偉そうな物言いをするのではないが私がもし、人からオーディオの買い物相談をされたら先ず「買った商品を置けるスペースとある程度の音量を出せる環境があるか」確認する。そりゃそうだろう。スポーツカーを買っても走らせる道がなければ宝の持ち腐れになるのと同じ、ドライブ(使いこなし)テクニックはその後の問題だ。

 

数年前買った我が家のテレビには「ONKYO Speakers Installed」のシールが誇らしげに貼られている。オンキョーのスピーカーを内蔵していることが大きな売り文句になっていたのだ。そのオンキョーが…

https://www.itmedia.co.jp/business/spv/2106/21/news147.html

 

実に寂しい話題だ。記事最後の「日本では自宅でゆっくり音楽を楽しむ文化が根付かなかった」というオーディオ店主の言葉が悲しく響く。しかし、日本人が元々家で音楽を聞くことに関心がなかったということはないと思う。昔は大抵の家の客間には立派な家具調ステレオが鎮座していたし、何十年も前に亡くなった祖父がレコードプレーヤーで水前寺清子を熱心に聞いていた姿は今でも懐かしく思い出す。

 

上記の記事に限らずこうなってしまった原因として音楽がダウンロードするものになった、イヤホンで〜しながら聞くようになったなどと技術面での改革を挙げる人が多いが私は必ずしもそう思わない。

 

確かに接するメディア、情報が格段に増え音楽ばかりに時間を割けなくなったという事情もあるだろう。しかし私は日本人が家でじっくり音楽を聞かなくなった最大の原因は音楽の力そのものの低下だと思っている。

 

曲が良くないのである。歌が下手なのである。演奏に魂がこもっていないのである。大量消費を前提に曲作りがされている弊害だ。

 

オーディオ全盛期の1970-80年代、音楽はスピーカーに向かって正座して聞くのが当たり前だった。正座は極端にしても〜しながらなんて聞くのは問題外。いや、ながらで聞き始めても知らない内に集中させられていた。何もこれはクラシックに限った話ではないが。

 

また触れる機会もあると思うが私のもうひとつの趣味、仏画や仏像も傑作、名作が制作されたのはせいぜい鎌倉時代までで江戸時代以降これといった名品は生まれていない。誰も指摘しないが江戸時代に後補された東大寺大仏の頭部の稚拙さと言ったら!殆ど冒涜と言って良いのかも知れない。

 

 

 

クラシック音楽も同様、フルトヴェングラーワルターを運慶、快慶とすれば彼等に匹敵する指揮者、彫刻家は残念ながら生まれていない。

 

仏画や仏像に比べはるかに遅れて生成した音楽は最近になって退化が始まったのだろう。

 

ぎりぎりだが魂を震わせる音楽が最後の輝きを放つた時代に間に合ったことを喜びたい。