パラリンピックの学校観戦、中止の動き相次ぐ

前にも書いたかも知れないが私は塾や家庭教師などのお世話になったことが一切ない。それでも県内一の名門高校に進学したし、難関校とは言えないが国立大学にも合格出来た。スベリ止めに受けた、いわゆる関西4私大にも複数受かっている。

 

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021082400841&g=soc

 

パラリンピックを小学生の子供たちに見せるという案が揺れている。全国的に新学期をどうすべきか苦慮している中、一番感染が広がり、医療が逼迫している東京で更に事態を悪化させるようなこの行為は、強行ではなく正に凶行と言えよう。

 

それ以前に子供たちにパラリンピックを見せることの教育的意義って何だろう。「ハンディキャップを持った人でもあんなに頑張っている。健常者に産まれた私はもっと頑張れねば。」そう感じさせたい、端的に言えばそういうことだろうが、ちょっと待て。

 

「諦めなければ夢は叶う。」

「努力に勝る天才なし。」

「流した汗は裏切らない。」

 

お好みであれば同種の言葉を永遠に書き連ねることが出来る。確かに耳に心地良い言葉だがこんな綺麗事の言葉、今の子供の心に響くだろうか。

 

優勝する、あるいは金メダルを取った人は皆凄まじい努力をしている、それは間違いない。でも優勝した人が一番努力している訳ではあるまい。優勝するには努力は勿論だが、運や巡り合わせも大変重要だ。バルセロナオリンピックの平泳ぎで当時日本人最年少の14歳で金メダルを取った岩崎恭子選手はとうとうその時のタイムを上回ることが出来なかったのではあるまいか。もっと言えば日本に産まれたことだけでも選手にとっては大きなアドバンテージだろう。世界には練習そのものが思うに任せない国がたくさんある。

 

今の子供は我々の想像以上にませている。東大に合格する子供の親は年収が高いことも知っている。そんな子供達にパラリンピックを見せても大人が考えるような教育的効果は望めないと思うのだか間違っているだろうか。

 

私が塾にも家庭教師の世話にもならず国立大学に合格したことを子供達は尊敬してくれていたのだろうか。