私の見たアメリカ

アメリカに行ったのは後にも先にもたった一回、1985年の春から夏にかけての2ヶ月ほど。メインの目的はサンフランシスコ州立大学留学だったが自由時間も多く、各地の都市を周遊し、現地の人との会合の機会も多く設けてくれていたので非常に密度の濃い日々を過ごすことが出来た。

 

今でもよく覚えているのはずっと日本車を愛用しているという中年のおじさんの言葉。

「この車にはもう10年乗ってるけど雨漏りひとつしない。大したものだ。」

思わず「そんなの当たり前じゃないの?」と言いかけたが止めておいた。その頃のアメ車は10年もしない内に雨漏りしたの?そりゃ売れんわ。とは陰の本音。何と言っても当時の日本の工業力は圧倒的だった。

 

当時アメリカ人はユーモアがあり、社交的。対して日本人は真面目だがせっかく海外に派遣されても日本人同士でばかり固まって現地の人と打ち解けようとしないと言われた。今は少しは変わっているのだろうか。

 

しかしこれは両国の成り立ちを考えればある程度は無理もないことに思える。アメリカはとにかく雑多な人種の寄せ集まり、人種が違えば思想も習慣も違うのは当たり前、お隣同士上手くやっていくには社交的にならざるを得なかった。一方日本は隣もそのまた隣も同じ人種、いちいちご機嫌伺いする必要も、何を考えているのか詮索する必要もなかった。

 

ではそれが彼らアメリカ人の本質か?と言うと私は違うと思う。底抜けに明るいヤンキー気質、よくアメリカ人のことをこう表現するが少なくとも私の接したアメリカ人は日本人以上に思慮深く、また我々が想像出来ないほど古いものへの憧れを強く持っている、そんな人たちだった。私の訪問した殆どのアメリカ人は自宅に多くのアンティークの調度品を飾っていた。

 

アメリカ人が古いものに憧れるのは国の歴史を比べれば分かる、独立宣言が出たのが1776年。日本では江戸時代も半ばを過ぎた頃だ。奈良の町を歩いていると通学道に国宝の建物が普通に建っていると言われるが、日本中どこの町でも近くのお寺、近くの神社の建物が江戸時代以前のものであることは珍しくない。アメリカ建国以前のものが普通に身の周りにあるのだ。

 

善光寺賓頭盧尊者像盗難事件。

「像にうらみがあった。」

https://www.sankei.com/article/20230406-NNAT7EAREBNQXNT3UFMILRN5GM/

 

何を言っているのか。無事に返ってきたからまだしも良かったものの。皆から触られることで多くの人の身代わりになってくれていた尊像なのに、これをきっかけにもし触れなくなったりしたらこの男の罪は限りなく重い。

 

上に書いたように日本では古いものが普通に身の回りにあるので却って有難みを感じる気風が薄れているのではないか。

 

明治時代から戦後に至るまで数多くの美術品が海外特にアメリカに流出した。中でもボストン美術館のそれは質量ともにトップクラス、日本にあれば間違いなく国宝というものも数多いという。

 

海外にある日本の美術品はナチスがやったような強奪で持ち出されたものではなく、一応正当な商取引で購入されたものが殆どなので難癖を付ける筋合いのものではないが、それでもやはり本国に所有権がないのは何とももどかしいし、歯がゆい。

 

でも寺の仏像を白昼堂々盗難するような奴がいるような国より海外で大事にされる方が美術品の為にも良いことかも知れない。