64歳

私達の中高時代は深夜ラジオと共にあったと言っても過言ではない。ラジオで掛かる曲は邦楽、洋楽殆ど半々。更に当時の雑誌も積極的に海外のアーティストを特集していたので、その頃の日本人は今以上に洋楽に親しんでいたような気がする。カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」など、うちの父親のようなもっとも海外ポップスから縁遠そうな人間でも知っていた。今こんな風に子供から大人まで知られているような曲が果たしてあるだろうか。

 

友人の中にはレッド・ツェッペリンやディープ・パープルを聞いてイキっている者も居たが衆目の一致するところ当時の日本でのポピュラー音楽のトップ4と言えばビートルズサイモンとガーファンクルカーペンターズミッシェル・ポルナレフだったと言えるのではないだろうか。前3者はともかく、ここにミッシェル・ポルナレフの名前を挙げることに違和感を感じる向きもあるかも知れないが当時の彼の人気は絶大だった。「シェリーに口づけ」、「愛の休日」、「忘れじのグローリア」、中でも「哀しみの終わるとき」は2分足らずの小曲だがこれほど聞く人の心を胸いっぱいにしてくれる曲もそうはない。

https://youtu.be/zwzdOf5Vd1Y

 

彼らに比べると後に日本で大人気を博すクイーンはかろうじて「キラークイーン」がヒットチャートを賑わした程度、まだまだ駆け出し的存在だった。

 

何度も書くことであるが当時のレコードは高価な品物、ましてポピュラー音楽には廉価盤がないので買うものも自然ベストヒット集が中心になる。上記トップ4の内ビートルズを除く3者は1枚もの収録の10数曲で取り敢えずの欲求は満たされたがビートルズだけは駄目だ。10数曲ではとても足りない。

 

初期のヒット曲を集めた「オールディーズ」というアルバムは繰り返し愛聴したが後期のベストヒット集に当たるものがなく、結局赤盤青盤と呼ばれる2枚組2セット、54曲収録のレコードを買う以外に方法はなかった。ところが当時の東芝EMIは極めて強気、赤盤も青盤もそれぞれ5000円くらい、併せて1万円もしたので手も足も出ないというのが実際のところだった。(話は変わるが私がようやく赤盤青盤を手に入れたのは21世紀に入ってから、たまたま行った滋賀県のスーパーのCD店でレコード4枚をCD3枚に再編集した海賊盤だった。海賊盤と言っても3千円くらい。今だったら正規レーベルのものでももっと安く買えるだろう。つくづく今の音楽ファンが羨ましくて仕方がない。)

 

さすがに54曲もあれば聞き馴染みのある有名曲は網羅されているかと思いきや、そうは行かないのがビートルズの奥深さ。名曲「ホエンアイムシックスティーフォー」もその一曲だ。曲に付いては下記に詳しい。

https://lyriclist.mrshll129.com/beatles-when-im-64/

 

「僕が年齢を取って、髪の毛が薄くなっても僕のことを好きでいてくれるかい?」何てことのない歌詞、何てことのないメロディ、それなのに何遍聞いても、いや聞けば聞くほど味わいを増すのがさすがビートルズ

 

私がこの曲を初めて聞いたのは何歳の時だっただろう。その時の自分は64歳に対してどんなイメージを持っていただろう。今はその記憶すらない。そして今日、正にその64歳の誕生日を迎えた。今何も言うことはない。ただこれといった大病もせず健康でこの日を迎えることが出来たこと、家族に恵まれた幸せな日々を送っていることを昔の私に自慢したい。残念ながら髪の毛だけは歌詞通りになってしまったけどね。