西川きよしさんとその功績

恐らく本人も覚えていないと思うが40年以上前、夕刊に西川きよしさんのインタビューが載った。内容はあらかた忘れたが次の言葉が印象に残っている。

「よくお母さんが勉強中の子供に夜食を持って行って頑張ってねと励ますシーンがあるでしょう。あんなのアホらしくて。偉くなりたかったら頑張るのは当たり前やのに。」

 

日頃の温厚なイメージとは全く異なる強い物言いに驚いたが、それもこの本を読んで納得した。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163916743

 

家が貧しく小学生から牛乳配達をして家計を助けていた西川少年、本当は野球をやりたかったが道具を買う金が無く、サッカー部へ。その面白さに目覚め、サッカー名門校への進学を希望するが折悪しく病に伏せっていた父親に「高校を諦めてくれ。」と頼まれる。

 

このあたりの子供時代の思い出話はとても涙なしでは読めない。是非ご一読を勧める。

 

同書できよしさんは書いている。

「(漫才ブームの時)ぼんちさんやツービートさんの後に出るのは大変なプレッシャーでした。」

 

漫才ブームをリアルタイムで知らない人にあのブームの異常さを何と説明すればいいだろう。あれだけひとつのコンテンツに全国民の注目が集まった例を他に知らない。強いて言えばワールドカップWBCが年中行われている感じ、と言えばかなり近いだろうか。

 

その星の数ほどある漫才番組全てでやすしきよしは必ずトリだった。やすきよが出ている番組で彼らがトリでなかった例を私は知らない。ぼんちやツービート、(加えれば紳助竜介やB&B)の後でトリを務めるのは大変なプレッシャーだったと書いているが逆に言えば彼らもやすしきよしがトリにどっしり構えてくれているから思う存分やりたいように振る舞えたに違いない。

 

まだ、テレビは一家に一台が当たり前の時代、トリには老若男女誰にでも受け入れられる芸風を持ったコンビが求められた。歴史にifは禁句だがもし、やすしきよしなかりせばツービートや紳助竜介のような毒舌を売りにしたコンビがあそこまでやりたい放題、言いたい放題の芸風を発揮出来、芸能界であそこまでの重鎮になれたか甚だ疑問だ。

 

もし、そうであるならビートたけしは浅草のシニカルな地方芸人で終わっていたかも知れないし、M1グランプリなどそもそもなかったかも知れない。そうなると今の日本のお笑いの世界も随分と変わった情景が広がっていたことだろう。

 

今一度、やすしきよし、特に西川きよしさんの正当な評価を切望する次第である。