全都道府県で人口減少

ポール・サイモン全詩集か。

https://www.kokusho.co.jp/sp/isbn/9784336074799/

先日取り上げた弘兼憲史さんの奥さん、柴門ふみさんはポール・サイモンの大ファンで彼の名前からペンネームを頂戴した話は有名だ。柴門さんはきっとこの本を買うだろう。知らんけど。

 

私も読んでみたい気はあるが値段があまりに高い。図書館にリクエストすれば買ってくれる可能性は高いが他に読みたい人が居なさそうで気が引ける。繰り言になるがレコードの時代は良かった。パンフレットの歌詞に必ず対訳が付いていた。CDの時代になって殆ど輸入盤しか買わなくなったので今はどうなっているか知らないが、もし対訳が付いていたとしても今度は衰えた視力がCDサイズの文字に付いていかないだろう。あー嫌だ。

 

初めて全都道府県で人口減少。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6470412

1985年をピークに40年近く人口が減り続けている和歌山県民からするとまだ増えている地域があったことの方が驚きだが、早晩避けられない運命だったのだろう。この急激な人口減少を受けて岸田首相は外国人との共生社会の必要性に触れたらしいが、ちょっと待ってくれ。

 

創業者出身の地でありながら長らく松下電器の工場がなかった和歌山にようやく進出の計画が持ち上がった云十年前、真っ先に反対の声を上げたのは地元の企業、工場の経営者達だった。「松下みたいな大企業に来られたらうちの社員が取られてしまう。」

 

私はこの話を聞いた時、何と狭量で身勝手な発言かと嘆き、怒りすら覚えたものだが今は彼らに近い考え方の人間に変わってしまったようだ。我ながら心境の変化に驚きもするが現実を見ると無理もない。

 

人口が減り続けてきたこの40年は衰退と廃墟化の歴史でもある。盆と正月しか帰省しない友人が帰省の都度、馴染みの店が無くなっているとぼやいていたが、私の自宅周辺も全くその通りの歴史を歩んでしまっている。40年前、歩いて数分〜遠くても10分程度の範囲に黒門市場があった、タバコ屋があった、本屋があった、和菓子屋があった、ファストフードの店があった、お好み焼き屋があった、酒屋があった、八百屋があった、寿司屋があった、規模は小さいが百貨店もあった。もっとあったが書き切れない。

 

これらは今全てない。全部住宅に変わってしまった。でも、まだ住宅に変わっただけマシかも知れない。市内随一の繁華街だったぶらくり丁がシャッター商店街になって何十年にもなるのに何故いつまでも放置するのか。格式と立地は申し分ないのに何故和歌山城はほんのわずな桜の期間の酔客以外あんなに閑古鳥が鳴いているのか。折からの歴史ブームで全国の城には年中観光客が押し寄せていると言うのに何故ここまで無為無策なのか。

 

少し前まではこんなことに腹を立て、何とかして欲しいと願っていた。でも、もういい。今私は死期を悟った禅僧のような静かな気持ちで現実を見ている。

 

企業の人事評価では社員を次の4タイプに類型するらしい。

①努力して、かつ成果をあげた者

②努力しなかったが、成果をあげた者

③努力したが、成果があがらなかった者

④努力せず、成果もあがっていない者

 

①がもっとも高評価、④が低評価というのは想像が付く。ここで意外なのは②より③の方が高評価だと言うことだ。

 

今の和歌山は成果があがっていないので勿論①や②ではない。では③か?どう見てもそう思えない。百人が百人④と答えるだろう。

 

でも、もうそれで良いではないか。

 

努力したくありません、偉くならなくて結構です。商店が減っても、人口が減っても文句を言いません。ですから外国人との共生なんて無理難題を押し付けないでください。