懺悔します

日航ジャンボ機墜落事故から38年。私はその1、2日前同じ位の時間帯の東京〜大阪の日航機に乗っていた。但し私が乗っていたのは国際便。国内路線なのに何故国際便か。

 

私が乗っていたのはアメリカ研修帰りの東京経由大阪行きの便だったから扱い上は国際便になるとのことらしかった。

 

その前年1984年10月から派遣されていた研修、研修とは名ばかりの連日の酒宴に観光。そしてその締め括りがこれまた留学とは程遠い「アメリカ旅行」だった。夢のような10ヶ月間だった。会社からの「君には先行投資するのだからな!」との言葉も何処へやら、ただただ楽しい日々だった。

 

そんな私のたったひとつの頭痛の種が研修の成果発表をしなければならないことだった。聞けば人事部長、他錚々たる顔ぶれが私の発表を聞きに来るとのこと。私は初めて真面目に研修してこなかったことを反省した。

 

成果発表は夏季休暇明け、先ずは無事帰国の報告に松下電器本社を訪れた。広い構内を歩き、人事部のある建物に入った。その時の光景は今でも忘れられない。小さな体育館位の広さがあるオフィスの机と椅子は全て壁ぎわに押しやられ中央にテレビが数台並んでいる。そして各々のテレビを食い入るように画面を見入る多くの社員たち。

 

一体彼らは何をやっているのだろう。答えは直ぐ分かった。墜落事故のあまりの被害の大きさにマスコミ各社の情報は錯綜、遺体安置所で名前の判明した方の発表もそれぞれの局が別々に放送していた。そう、テレビは受信出来るだけの放送局の番組を写し、そこで予告なく唐突に発表される名前、そしてその中に松下電器関係者は居ないか必死で見守っていたのだ。松下グループは単体の企業としては最大、ご家族含め20数名の犠牲者を出していた。

 

混乱している職場で私の研修を担当してくれていた方をどうにか探し出し、挨拶しようとすると彼の方から声を掛けてくれた。「おおっ○君か、今ご覧のような状況なので悪いけど君の成果発表を聞いている場合ではないわ。」

 

「分かりました。それにしても大変な事になりましたね。」神妙に返事してその場をあとにした。

 

神様仏様、正直に告白します。私は確かにその場では神妙な振りをしました。でも心のどこかに成果発表が無くなったことをラッキー!と思った自分がいました。心の底から懺悔します。だからお許しください。