同窓会

高校の同窓会が昨日行われた。結論から言うと思っていたほど楽しくもなかったし、思っていたほどつまらなくもなかった、というのは正確ではない。期待値が低かったからだ。さすがに毎年は多いが何年かに一度なら是非また参加したい。ハッキリそう断言出来る程度には楽しかった。

 

会の冒頭、お盆ということもあり既に亡くなられた担任の先生、並びに同窓生に黙祷の時間が設けられた。正確な人数は聞き漏らしたが20何人かの方が鬼籍に入られているとのこと。大半は先生方と思うが同窓生の中にも亡くなられた方が何人かいるのだろう。

 

コロナ禍もあり、前回の同窓会から5年の間隔があった。次回も5年後でもいいとは思うが、そうなると亡くなる方が加速度的に増えているだろう。我々は既にそんな年代なのだし、私がそのひとりであったとしても何の不思議もない。

 

誰かが本に書いていた。

「人間30代位まではそれ程見かけに差は出ないが40代になるとプラスマイナス4歳、50代ならプラマイ5歳くらいの差が出てくる。」

我々は60代(64歳)だから若く見える人は58歳くらい、老けて見える人は70歳くらいに見えることになる。こんな事を書くのは失礼だが確かに70歳くらいに見える人はいた。理由は分からないが足を引きずっている人もいた。

 

とか何とか言いながら自分はどう見えていただろう。誰しも自分の顔は毎日のように見ているので自分では変化は分からない。そんなに変わっていないだろう、というのは勝手な希望的観測に過ぎない。

 

今回の同窓会でも実際に話したのは、全体の出席者(200数十人)からするとごく僅かだが、テーブルを見回すとひと目で思い出せるくらい変わっていない人、名前を見れば思い出せる人、名前を見ても信じられない人、本当にさまざまだった。ただ名前を見ても信じられないというのも悪いことばかりではなく、中でも高校時代はいかにも見た目、体育会系で嫌な印象しかなかった○君がすっかり気のいいおじさん風になっていたのは嬉しい誤算だった。

 

女性についても全く同じことが言える。当時のままの印象の人、いい意味で思わず2度見してしまった人、その逆の意味で2度見した人。

 

何人かの女性とも話が出来た。彼女等も私を覚えてくれていてそれは嬉しかった。心残りなのは話した相手が私がまだ抵抗もなく異性と接することの出来た小学校時代の同窓生に限られてしまったことだ。

 

中高時代にひと言も話したことのない、ただ同じクラスだったというだけの理由で女性に話し掛ける勇気は残念ながら持ち合わせていない。

 

ということは次回また同窓会があっても話す相手は今回と同じ面子になってしまうのか。やっぱり参加に付いてはもう一度良く考えることにしよう。