文章を書く尊さ

5、6年前、小学校の同窓会が開かれた。最初直ぐに連絡がついた私含め数人が集まり、開催する場所や連絡の方法について協議したのだが如何なる訳か私が書記を仰せつかり、皆の前で紙に字を書き始めた。するとその途端、ある女子の同窓生が言った。

「そう言えば○(私)君ってめちゃくちゃ、字下手やったわね。誰か代わってあげて。」

めちゃくちゃは余計だが、その時点で小学校を卒業して半世紀近くは経っていた。それなのに私の悪筆は彼女の記憶にも鮮明だったのだ。

 

 

ハガキや封書来秋大幅値上げ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d25550da4e8aeb17e7cf2205c0221a79be1d00b7

今朝新聞でこのニュースを見た時は最初はふざけるな、こんな大幅な値上げ受け入れられるものか!と心で叫んだが、よくよく考えると全国どこでも同じ料金で届けてくれる、こんな有難いサービスも他にない。もしこの値上げに頑強に反対し、では地域別料金にしようかと言われたらどうする。都会の交通の便もよく、郵便物の量も多いところは安く、山奥の過疎地域で人も郵便物の量も少ないところは高くするとなったらどうする。

 

第一、最近は本当に郵便を使わなくなった。私自身この1年、年賀状以外に何か使ったかと考えると懸賞の応募でハガキを数回出したくらい。封書に至っては少なくとも自身で切手を買って出した記憶がない。例えば年賀状を100枚出す人でも年に2000円出費が増えるだけ。そう考えると大きな問題ではない。

 

それにこの値上げ、そんなに大幅かと言うとそうでもない。ハガキが今の63円になった2019年、我が家で愛好しているプリマの香薫は630グラムで598円だったが今は510グラムで798円になっている。(ドン・キホーテ店頭価格。筆者調べ。)細かい計算は省くが香薫の方が値上げ幅は大きい筈だ。

 

ただ、この値上げの心理的な影響は大きい。このニュースを聞いて「来年から年賀状やめよかな。」実際そう考える人が多く出て来ることが懸念される。そうなると需要減〜更なる値上げの悪循環になりかねない。

 

今日のワイドショーであるコメンテーターが言っていた。「先日友人から久しぶりに手紙をもらったことがとても嬉しかった。」メールは確かに便利だが郵便には温もりがある。特に自筆の手紙はその人の個性、思いが滲み出て何よりの想い出の品になる。私もテレビもラジオもない、新聞は翌日配達という富士の裾野の研修所で前の職場の方々が送ってくれた手紙や寄せ書きを未だに懐かしく読み返すことがある。40年近くも前の手紙なのにそれらの字や文章を見るだけでその人ひとりひとりの顔や声が懐かしく甦る。

 

機械打ちの文章だとそのひとの字が分からない。文章も勝手に変換されたり、知らない漢字や言い回しが使われたりと個性が失われる。誤字脱字にも個性は表れるのに。

 

やはり手書きは大事だ。今回の郵便値上げで国民の自筆離れがより一層進むのではないか。そのことを私は怖れる。天下の悪筆の私が言うのだから信じて欲しい。