言わんこっちゃない

ドイツの作曲家、ブラームスが晩年に歌曲の録音を聞いた時、「目の不自由な人が聞いたらきっと目の前に歌い手が居るものと勘違いするだろうね。」と述べたという。

 

ブラームスの時代の録音といえば世界最初期、ノイズだらけの酷い音だったに違いないが初めて録音というものに触れた驚きと感激が彼にそう言わしめたのだろう。

 

かく言う私も偉そうなことは言えない。今でも覚えているが中学生時代の雑誌のなぞなぞにこんな問題があった。

「小さなテレビにはジャイアント馬場の全身は映らない。○か✕か。」

この問題に一瞬ではあるが「え~っ、どっちやろ?」と考え込んだ記憶がある。

 

テレビにはビルが映る、富士山も映る、いやいや地球全体だって太陽だって映る。だからジャイアント馬場が映らない訳が無いのだが、当時はその位テレビは新鮮な媒体だったし、一般家庭のテレビの画面自体もノートパソコン位の大きさだったので「えっ、あんな小さな画面にあんな大きなジャイアント馬場が映るだろうか?」と多くの子供が回答に詰まったのだろう。

 

1970年の大阪万博以上にインパクトのあるものは今後も絶対に無理だ、私がそう断言するのもそこに理由がある。インターネットが如何に斬新で画期的だったとしても初めて録音というものに触れたブラームスの感激には及ぶまい。技術的にどれだけ進歩があったのか知らないが外国や宇宙と会話が出来るよりお隣さんの家と電話出来た最初の驚きの方が遥かに大きいに違いない。

 

それでも私の小さい頃にはテレビはあったし、電話もあった。録画は夢物語だったが録音機(テープレコーダー)はあった。処が今調べると日本でラジオの全国放送が始まったのは1928年、ソニーによるテープレコーダーの第1号機は1950年だという。つまり1970年と言えば子供の頃にはラジオもテープレコーダーもなかった人が多く居た。私達の世代でもあれだけ驚いたのだ。彼らの驚きたるや想像するに余りある。

 

 

万博運営費増額、国が出さないのに大阪府市が出す訳ない。https://www.asahi.com/sp/articles/ASRDC64WDRDCOXIE038.html

 

おいおい、目に見えた猿芝居は止めてくれよ。国も大阪も出さないってどうするおつもり?まさか運営委員のポケットマネーで出せとでも?運営費は宣伝費の他、会場案内員の人件費や警備費にも使われる。それらを削って問題は起こりませんか?って私は行くつもりはないのでどうでも良いですけど。

 

建設の遅れだけなら何とかカバー出来る。お金が足らないだけなら何とかカバー出来る。現にここ最近そんなオリンピックが何回かあった。でも大阪万博はいけません。金がない、建設は遅れている、そして何より国民の支持がない。

 

三重苦のヘレン・ケラーを救ったアン・サリヴァン先生のような「奇跡の人」が現れてくれればいいのだが。

 

阿呆は大阪だけかと思ったら北海道にも居た。まあ、こちらは止めるだけましか。

https://www.sanspo.com/article/20231220-3RVV3K66ARKS7JOORTWP6E4FKE/