交通事故1

アメリカが在日アメリカ人に帰国を呼び掛けている。理由は日本ではコロナ検査が不十分、及び医療崩壊が心配とのこと。

 

「お前には言われたくない。」という思いがあるが、面と向かって反論出来ないのは相手がアメリカだからか指摘が当たっているからか。

 

 

私の人生の中での大きな出来事と言えば90年代後半の交通事故も欠かせない。

 

始まりは前日に掛かってきた会社の先輩Sさんからの電話だった。明日京都で千住真理子さんのヴァイオリンコンサートのチケットが手に入ったけど行かないか?

 

今でもそうだがコンサートでも、寺社巡りでも、ましてや山登りでも本当の目的はその後の飲み会。勿論二つ返事で了解です!

 

フレックスで16時頃退社し自転車で駅に向かった。また、今晩飲める!はやる心で多少はスピードが出ていたかも知れない。

 

私は右側の歩道を走っていた。その本道と斜めに交差する狭い十字路があり、その道に差し掛かる時、後方からバイクの音が聞こえてきた。そのバイクが突然右折してその側道に進もうとした。私は自転車ごとバイクの右側に衝突し、1メートルほど飛ばされた。

 

後になってぞっとしたのだが、もしこの時飛ばされて落ちた場所に車が来ていたら大けがをしていたか、ひょっとすると生きていなかったかもしれない。でも、この時私が考えたのはとにかく京都に行かなければという思いだけ。何しろ携帯電話がない時代だ。ワイシャツの肘に穴が開いていたがそれ以外、幸い大した怪我もしてなさそうだ。相手の名前と連絡先、それと念の為バイクの番号をひかえ、こう言った。「多分、何もないと思うけど、もし明日以降身体に支障がでれば連絡する。」この予感は不幸にも的中することになる。相手はR大学の学生だった。

 

一旦、反対方向の電車に乗り帰宅。ワイシャツを着替えてすぐ京都に向かった。妻はびっくりしていたが説明するのももどかしい程、焦っていた。

 

ぎりぎり間に合いコンサートへ。異変を感じたのは何曲目か終わった後。今までと同じく拍手をしようとしたが・・・。

 

左腕が動かない!(以下、パート2)