水戸黄門と暴れん坊将軍

少し前の水戸黄門に若き日の暴れん坊将軍(徳川吉宗)が登場するシーンがあった。三男坊なので跡継ぎにもなれず不貞腐れて江戸で遊び回っているという設定だった。

 

調べてみると水戸光圀1628-1701、徳川吉宗1684-1751なので年代的におかしな点はない。善玉の信じられないような強さ等絵空事の多い時代劇だが歴史考証はしっかりしているようだ。

 

水戸黄門のエンディングは多くの人が知っているように助さん角さんが悪者たちを懲らしめた後、印籠を見せて全員平伏がお決まり。

 

一方、暴れん坊将軍は敵地に乗り込んだ吉宗に悪者(大抵は上級武士)が気付いて先に平伏する。処が吉宗はそれでは許さず「武士ならば潔くせよ。」と自裁を迫るので、追い詰められた悪者が「かくなる上は。」と反逆し、配下の侍もろとも吉宗たちに斬られて全滅というパターン。

 

水戸黄門全般に殺しの場面がないのは一説にはスポンサーの松下幸之助氏が殺しのシーンを好まなかった為とも言われているが、気の毒なのは暴れん坊将軍で吉宗に斬り殺される悪者の部下たちだ。「ボスさえ責任を取って自裁してくれていたら…。」と思いながら斬られていったに違いない。

 

今、桜を見る会の問題で現、前総理が追求されている。又もや「知らなかった」で済ませる積もりのようだが、では以前の費用の補填は一切していないという答弁との矛盾をどう説明する。

 

いつの時代も困った上司を持った部下は大変だ。