残しておくべきしきたり

この歳まで知らなかったのに、ひょんなことから知る機会があった。クリスマス。キリストの誕生日である12/25を祝う日であることは皆知っていると思うが、では何故本来の記念日である25日を差し置いて24日の方をより一層盛大に祝うのか。

 

私も前から疑問ではあったが、特に深く考えていなかった。これにはちゃんとした理由があってキリストが産まれた地域は日没から次の日が始まるという風習だったかららしい。またひとつ賢くなった。これ以上賢くなったら末恐ろしい。

 

今日、加入している生命保険の方が年末の挨拶に来られて来年のカレンダーを頂いたのだが、表紙に大きく「六曜なし」と記載されている。別にわざわざ書かなくても六曜のないカレンダーは沢山ある。興味があったので会社のホームページを見たが特に記載はない。とすれば考えられる理由はこれしかない。

http://www.pure.ne.jp/~jinken/keihatsu12.htm

 

先の「元号」というブログで私は元号についての賛否について触れなかった。正直な気持ちを言えば緩やかな賛成と言う所だが、私の身の回りでも反対とまでは言わないものの不要論者、無用論者が増えていることは確かなようだ。現に私の妻がその意見だ(多分)。

 

でも、そんな妻でもカレンダーを貰うと六曜の有る無しを結構気にしていて、記載がないと「使えないなあ」などとこっそり悪態をついている。家も今年は次女の出産など嬉しい出来事があったが、お祝いやお宮参りなど、やはり我々の生活に六曜は深く馴染んでおり、どんな歴史があったにせよ一概に否定されるべきものではないと思う。

 

そんなことにクレームを言う暇があったらクリスマスより花祭りをもっと盛大に祝おうではないか。まだクリスマスは許せても、少なくともハロウィンみたいなXX染みた馬鹿騒ぎは止めよう。

 

あっ、花祭りとはお釈迦さまの誕生日(4月8日)のこと。ついでに言えば私達の結婚記念日でもある。国民の祝日にならないかなあ。